《大田市観光協会記事へ》
江戸の中期、石見銀山の在る大森に赴任して来た代官(江戸幕府の役人で地方を支配する最高責任者)・井戸平左衛門は、飢饉から領民を救うため、薩摩(現在の鹿児島県)より、ご禁制のさつま芋を当地に導入しました。その後当地では餓死者は一人も出ていないと言われています。
世界遺産の石見銀山の歴史の中で井戸平左衛門ほど親しまれている人物はいません。
江戸の中期享保年間、八代将軍吉宗の時代、町奉行大岡越前守の命によって赴任した平左衛門は飢饉に苦しむ領民を救うために、年貢の減免や、江戸の許可を待たずに、お上の米蔵を開いて分け与えたりしました。
そして、さつま芋の事を偶然知り、苦労の末、薩摩(今の鹿児島県)からさつま芋を手に入れ、この地に広げました。その後、この地方では餓死者が出てないとのことです。その遺徳をしのび、『いも代官さん』と呼ばれて親しまれています。
石見地方を中心に遠く岡山、広島に500基余りの顕彰碑があるのは、領民の感謝の表れでしょう。
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